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手紙から中世イタリア商人の素顔に迫る『プラートの商人:中世イタリアの日常生活』イリス・オリーゴ

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中世イタリアといえば、商業が盛んだったというおぼろげな印象だけがあって、どんな人が商人をしていたのか、どんな商売をしていたのか、どんな暮らしをしていたのか、などの具体的なことをあまり知らなかったんですよね。

もっと具体的な情報が欲しいなあ、もちろん日本語で、と考えていた矢先、本書に出会いました。ありがたい話です。

こんな人にオススメ

中世イタリア商人の日常が知りたい
中世の人々の結婚生活について知りたい


『プラートの商人:中世イタリアの日常生活』概要

著者は伝記作家

著者は、イギリスの伝記作家イリス・オリーゴ。1977年に大英勲章(DBE)を授与された人物です。同じ勲章だとアガサ・クリスティーが有名ですね。

伝記作家の著書ということで、歴史学の専門書とは少し毛色が違うものの、膨大な資料をもとに考察されていて、もう歴史書と言って良いんじゃないかと思いました。

なお、日本語版の監修者はイタリア中世史専門の歴史学者です。

「書物復権」にて復刊された書籍

一度絶版になった書籍を復刊させる企画「書物復権」にて、2008年に復刊された書籍です。

この書物復権なる企画、「復刊ドットコム」というサイトで読者からリクエストや投票を受け付けて、その結果を出版社が見て、復刊する書籍を決めている……というものです。

2021年時点では25回を数え、参加する出版社も岩波書店や白水社等含めて11社まで増えました。

本書がこの企画で復刊される際、読者リクエストと出版社の判断があったということですので、いかに貴重な資料であるか、ということがわかります。

膨大な手紙資料から中世イタリア商人の素顔に迫る

14世紀イタリアの商人、フランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニ(以下、フランチェスコ)が残した15万通という膨大な「手紙」から、当時の日常生活を描き出そう、という意欲的な作品です。

手紙の全訳が載っているというわけではなく、必要に応じて引用されつつ、著者の考察が添えられています。

ちなみにプラートとは、現在のフィレンツェより少し北西に行ったところにある町です。

プラートにあったフランチェスコの家から、19世紀に、15万通の手紙や何百冊にもわたる帳簿、会計簿、契約書、証券、為替手形などが出てきたことから、本書の物語が始まります。

『プラートの商人:中世イタリアの日常生活』感想

もともとは旅籠の息子

フランチェスコなる商人は、旅籠の息子でした。

両親を亡くした後、面倒を見てくれる人はいたのですが、ちっとも大人しくしていません。両親の死から一年ちょっとで飛び出してフィレンツェで徒弟になった後、15歳で土地を売り払ってアヴィニョンへ行き商売を始めます。

フランチェスコは、プラートの町に銅像まで建てられているほどの有名人らしいので、さぞかしすごい商家の生まれなのかなと想像していたんですが、全然違ったので驚きました。

中世ヨーロッパって、意外とチャレンジできる時代だったんだなと。なんとなく、自由がないイメージがありました。農奴の印象が強すぎるのかもしれない。

フィレンツェで徒弟になった経緯は詳しく記述がないのですが、商人の徒弟ってそんな簡単になれるものなのか……。大きな商家の息子ならともかく、ヨソの町からやってきた孤児の少年ですからね。

がんばって頼み込んだのだとしたら、すごい熱意だなと思います。

大商人というか、さながら現代のビジネスマン

最初は甲冑を売っていたようですが、後に七宝やら毛織物やらなんやら、様々なものを扱う総合商社を経営することになります。

ただ、常に順風満帆だったかというとそんなことはまったくなく、銀行が破産したり、ペストが流行して急に契約相手が亡くなったり市場が消えたり、傭兵の略奪におびえたりと、心労の絶えない人生を送っていました。

結果、財産をいろんな場所に分散して保管したり、同じ会社とばかり取引しないようにしたり、ある分野での失敗を他の分野でカバーできるようにしたりと、慎重に慎重を重ねて商売をしていました……というのが、フランチェスコの商人人生のざっくりしたまとめです。

なんかもう、現代のビジネスマンとやってること同じですよね。

甲冑が売れたのは各地で戦争が起きていたからですし、七宝は当時のご婦人のアクセサリーとして流行していたものですし、毛織物といえば当時の基本の衣料品です。流行のものはとにかく扱ってみるスタイルは、現代の積極的な企業経営者を思い起こさせます。

そして、多くの危機を警戒して財産等を分散させる行為はまさに、現代で言うところの「リスクヘッジ」です。

ちなみに、フランチェスコのプライベートにおける出費の中で大きかったのは「衣類」でした。

理由は、大商人としての威信を保つためにはそれなりの外見をしている必要があるから、というもの。

これも、現代のビジネスマンに通ずるものがあります。

700年経っても人間のやることは大して変わらないものなのだと、改めて痛感させられました。

結婚生活の描写が面白い

本のタイトルからは推測しづらいかもしれませんが、フランチェスコとその妻との手紙のやりとりについての記述もたくさんあります。

夫婦が手紙のやりとりをするのが普通、ということではなく、フランチェスコはほとんど家に帰らず商売に命をかけていたので、家を守る奥さんとは手紙でやりとりするしかなかった、というのが正しいです。

フランチェスコの仕事の都合で別居していた、という特殊事情は考慮する必要があります。ただ、同居している夫婦であれば口喧嘩して終わるようなやりとりまで、手紙に残っているのはやはり興味深いです。

「枕カバーがそっちにあるはず」→「いやこっちにはないです」

とか

「よその奥さんはこんなに素晴らしい」→「そんな言い方ひどいわ!」

とか……。

繰り返しになりますが、700年経っても、人間ってそんなに変わらないものですね。

「亭主元気で留守がいい」という言葉がありますが、フランチェスコの場合、確かに元気に外で働いているものの、家事に関する細かい指示を鬼のように送って来ていて、もはや留守とも言えない状態だったようですね……。

ちなみに、奥さんは貴族階級の出身ですが、貴族の女性が文字を習うのが当たり前だった……というわけではなく、フランチェスコと手紙をやりとりするために、三十歳を過ぎてから文字を習う羽目になったのだとか。

まとめ:中世イタリア商人の日常がわかる良書

フランチェスコは他の商人に比べて政治への関心が低かったりと、変わった一面も持っていたようなので、この本の内容が多くの商人にあてはまるとは限りません。

ただ、本来、王侯貴族でもない一般人の具体的な日常が、資料として残るということはほとんどありえない……ということを考えると、一人の商人の一生を浮かび上がらせてくれた本書は、非常に貴重な資料だと思わされます。

関連書籍

本書の前もしくは後に読むと楽しめそうな本をあげてみました。

  • 『中世イタリア商人の世界』清水広一郎著、平凡社、1993年
    14世紀イタリア商人に関する書籍です。解説者が、『プラートの商人』の監修者と同じ方です。
  • 『イタリアの中世都市』亀長洋子著、山川出版社、2011年(世界史リブレット)
    商人というより、イタリア中世都市の仕組みについて解説された書籍ですが、入門書として最適。
  • 『中世ヨーロッパの結婚と家族』ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース著、講談社学術文庫、2019年
    終盤に、15世紀フィレンツェの商人の家族に関する記述があります。

書籍情報

タイトル プラートの商人:中世イタリアの日常生活
著者 イリス・オリーゴ
訳者 篠田綾子
監修 徳橋曜
出版社 白水社
出版年 2008(初版:1997)
ページ数 503