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ケルトとは何かを徹底的に考察する『ケルトの水脈』原聖

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ケルトと聞いて思い浮かべるものはなんでしょうか。

音楽や神話、美術などの文化について連想する人もいれば、「ケルト人」という感じで民族の名前として認識している人もいるでしょう。

では、本当のところ、いつの時代、どの地域に、どんな言葉を話していた人々なのでしょうか。

そんな単純明快で素直な疑問への答えは、途方もない長さになってしまいそうです。

ケルト、深すぎる。

そんな本でした。

こんな人にオススメ

ケルトとは何なのか知りたい

ケルトの歴史を知りたい


『ケルトの水脈』概要

興亡の世界史シリーズの学術文庫版

「文明」「帝国」の興亡を軸に歴史を読み直し、現在の世界を深く理解する、新視点による「現代人のための世界史」として大好評のシリーズ

講談社BOOKS倶楽部「興亡の世界史 人類はどこへ行くのか」紹介文より

興亡の世界史シリーズとは、2006年から2010年にかけて、講談社から発売されたシリーズです。

その後、2016年から2019年にかけて、講談社創業100周年記念企画として学術文庫版とその電子書籍も発売されました。

文明の興亡を軸にする、との紹介文のとおり、シリーズ全体をとおして、長期的な時間軸で考えるような、スケールの大きな題材が多いです。

以前刊行されたのはハードカバーの本だったので、文庫版や電子版によって手に取りやすくなっているのはうれしいですね。

ケルトとは何かを、時代順に紐解く

キリスト教が広まる前のヨーロッパ世界にいたとされる「ケルト人」

本書では、彼らが紀元前5世紀に「ケルト人」と呼ばれ始めてから、20世紀の現代まで、どのような歴史をたどったのかが考察されています。自然信仰や巨石文化、ドルイド、アーサー王物語にも触れられます。

と、表現すると、あたかもひとつの同じ民族が連綿と歴史を紡いできたように見えますが、時代によって、地域によって、「ケルト人」の指す意味合いは随分と異なります。

「ケルト」は時代によって指す意味合いが異なるので、頭から読むと混乱しそうですね。というか、恥ずかしながら私は混乱しました。

「はじめに」や「おわりに」で、本書の目的が示されているので、途中で道に迷ってしまったら、「はじめに」や「おわりに」に目を通してみると整理できると思います。

『ケルトの水脈』感想

ケルト人は三つに分類できる

本書によると「ケルト人」には大きく三つにわけられます。

個人的にはもうこの時点で、「ケルト人」という一つの言葉で表現されていることに疑問を感じますが……。

  • 古代ケルト人
  • 中世ケルト人
  • 近代ナショナリズムの興隆とともに語られるケルト人

簡単にまとめると、こんな感じです。

古代ケルト人

キリスト教が広まる前のヨーロッパ世界にいたとされる「ケルト人」

現在のフランスのあたりにいたのはほぼ確定のようですが、現代のイギリスを含めてその他の地域については史料がなかったり、いまだに論争中であったりして、確定していません。

ローマ文化の広がりにより姿を消しますが、抹殺されたというより、ローマ文化に同化したと考えられています。

呼称としても自称としても「ケルト」という語がはっきりと確認できる時代で、「ケルト人」という語が一番しっくりくる時代だなと思います。

中世ケルト人

ローマ文化による同化を免れたと「される」ケルト人

というのも、元々は紀元前一千年紀、つまり、ローマ文化と同化するずっと前に、ケルト人がブリタニア島(現代のイギリス)に渡っていたという説があったものの、現代の考古学研究によりかなり懐疑的であると見られているからです。

つまり、中世のブリテン島に住んでいた人びとを、古代ケルト人と同じ「ケルト人」と表現するのは違うのでは? ということで、本書でもこの時代、つまり、7世紀から中世後期にかけてはケルトという言葉が使われません。

かの有名な装飾写本「ケルズの書」は800年ごろの製作で、このあたりの時代にドンピシャに当てはまりますが、古代ケルト文化との同一性は認められないとされています。

近代ナショナリズムの興隆とともに語られるケルト人

我々にとって一番身近に感じるのはここかなと思います。

アイルランドがイギリスとの違いを鮮明にするために公用語をエール語にするなどの動きがありました。

また、1991年にイタリアのベネチアで開催された「大ケルト展」は、多くのヨーロッパ諸国が企画に参加し、ケルト文化がヨーロッパ独自のアイデンティティと認められるということもありました。日本のケルトブームも同時期に起きています。

現代のケルトに対するイメージと、古代ケルトを同一視することには懐疑的ですが、だからといって、「ケルト」にアイデンティティを求める行為が悪い、というわけではありません。

復活させようという動きがあったから、我々がまたケルトを思い出し、文化が息を吹き返したと言えるでしょう。息を吹き返すことなく歴史の闇に葬られて行った文化が、もっともっとたくさんあったのだろうなと考えさせられます。

ドルイドと、偽ドルイド

ドルイドというと、現代の創作の影響からか、怪しげなシャーマンというか、魔法使いというか、そういったものを連想してしまいます。

しかしそもそも、つまり紀元前6世紀ごろにガリアに登場したドルイドは、ピュタゴラス派の影響を受けた政治家、司法家の側面が強かったようです。

ピュタゴラスというと数学者として有名ですが、哲学や自然科学などさまざまな学問を教えていました。ピュタゴラス派から学問を教わった人びとがドルイドになって政治家・司法家として活躍した、というのが現在の定説です。

もちろん当時の権力者なので、祭祀としての役割もあったようですが、シャーマンや呪者といった現代の創作のイメージとは随分かけ離れていますよね。

ただ、シャーマンのイメージのドルイドも、決して創作の中だけのものではありません。

時は流れて5世紀、場所も変わってヒベルニアにて、ドルイドと呼ばれた人びとは呪術を行なう祭司者にすぎなかったようです。こちらは「偽ドルイド」と表現されています。

というか、本人たちがドルイドと名乗った記録は残っておらず、キリスト教の布教にやってきた伝道者が、賢い異教の者=ドルイドと表現したに過ぎないのだとか。

ガリア戦記に書いてあった「ドルイド」を見て「賢い異教の人」をまとめて「ドルイド」って呼んだのかな、と想像してしまいました。

征服されたら言語が滅びる、とは限らない

言語は民族とイコールのような関係にあって、民族が移動すれば言語も移動し、征服されたら民族も言語も一緒に滅びる、というのが一般的な理解です。

実際に、ガリア人はローマに征服された結果、ラテン語を話すようになりました。

しかし、必ずしも侵略されたら言語も一緒に滅びるとは限りません。

たとえば、ブリタニア島のケルト語は、ローマの征服後も消滅しませんでした。

征服後に言語が消滅するか存続するかは、征服した側とされた側の人数比や、文化的に進んでいるかどうかなどに関係します。征服した側があまりにも人数が少なければ、文化としては征服された側に同化することもありえるでしょう。

また、イベリア半島に移住した西ゴート人は、長距離を移動する間に話す言葉がどんどん変わって行って、移住先に着いたときには元の言語であるゲルマン語を失っていた、なんて話もありました。

確かに考えてみれば、そのとおりだなと納得しました。現代に生きる我々は、淡々とした文章から歴史を読み取ることになるので、ローマ人がブリタニア島を征服した、と聞けば言語や文化もローマのものになった、とか、西ゴート人がイベリア半島に移動した、と聞けばイベリア半島にゲルマン語が伝わったのだな、と考えてしまいがちです。

でも、その時代を生きた人びとが、どれくらいの人数で新たな土地へ向かったのか、どれくらい長い時間をかけて移動したか、といったことを想像することを忘れてはいけないなと、強く感じました。

まとめ:ケルトとは何? を徹底的に追及した本

キリスト教が広まる前のヨーロッパ世界にいたとされる「ケルト人」が、どのような歴史をたどったのかがわかる本でした。

なんとなく耳にする言葉(今回で言うとケルト)を、本当に自分は理解しているのか? と常に自分に問い続けることの重要性を、改めてこの本から教えてもらったような気がします。

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関連書籍

ケルトに興味があれば、こちらの書籍もオススメです。

  • 鶴岡真弓・松村一男『ケルトの歴史:文化・美術・歴史をよむ』河出書房新社、1999年
  • 鶴岡真弓『ケルトの想像力』青土社、2018年

書籍情報

タイトル ケルトの水脈
著者 原聖
出版社 講談社
出版年 2016年
ページ数 387

※本書は、2007年に「興亡の世界史」シリーズの第7巻としてハードカバーで出版された本の、文庫版です。